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東邦大学のキャンパスお宝発見――梅ちゃん先生で話題。空襲をまぬがれ、戦前の面影を今なお残す医学部本館

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まもなく67回目の終戦記念日。時代の流れとともに戦争の記憶が薄れていく中で、空襲をまぬがれた東邦大学医学部本館は同大にとって“お宝”であると同時に、歴史の「証人」として地域でも貴重な存在となっている。

 東邦大学医学部本館(旧帝国女子医学専門学校 第一校舎)が竣工したのは1929(昭和4)年1月。創立当初に建てられた木造2階建ての校舎から、当時はまだ珍しかった3階建て鉄筋コンクリート建築へと生まれ変わった。
 その後増築され、現在の医学部本館の姿が完成したのは1933(昭和8)年6月。現在の「大森キャンパス」の下地ができあがったのもこの頃で、同時期に第二・第三校舎、第二寄宿舎、図書館、付属病院外来診療所などが次々に建設された。

 その後も同大は発展を続け、1941(昭和16)年に「帝国女子理学専門学校」が設置されたことで、医・薬・理の3学科がそろった自然科学系女子総合学園として認知されるようになる。しかし同年12月に太平洋戦争が勃発。戦争の激化は同大にも多大な影響を与えた。

 その最たるものが1945(昭和20)年4月15日未明に大森・蒲田を襲った空襲である。大森周辺は一夜にして焼け野原となり、同大の校舎や寄宿舎、病院などもほぼ全焼した。
 しかし、その中で唯一焼失をまぬがれた建物があった。防空対策として迷彩色に塗られていた本館である。空襲後は寄宿舎の学生や、付属病院の患者さんの避難場所として利用されたという。

 同大の戦後の復興は、付属病院の教授らが中心となって保護者や卒業生から復興寄付金を募ることから少しずつ進んでいった。1947(昭和22)年には付属病院が開設(当時の名称は東邦医科大学付属病院)。その後学制改革に合わせ東邦医専、東邦医科大学と名称を変更しながら、1950(昭和25)年に東邦大学医学部として再スタートした。

 戦争という過酷な時代を生き抜き、創立当時からの歴史を今に伝える医学部本館は、同大にとって紛れもなく貴重な財産のひとつである。同時に、戦前からの建物がほとんど残っていない蒲田・大森地区に住む人々にとっても、希少な存在として認識されている。
 とくに今年は、終戦後の蒲田で町医者を目指す女性の姿を描き、好評を博しているNHK連続テレビ小説『梅ちゃん先生』の影響でさらに注目度がアップ。ドラマと同時代の歴史を経てきた同大医学部は、地域の人々に“親しまれ、愛される大学”としてますます存在感を増している。
 80年以上にわたりこの地の歴史を見つめてきた同大医学部本館は、地域のつながりにおいても重要な役割を果たす“お宝”といえるだろう。

 なお、医学部本館1階にある額田記念東邦大学資料室では、9月28日まで企画展「女子医学生が過ごした日々<帝国女子医学薬学専門学校>」を開催している。

(参考記事)東邦大学 額田記念東邦大学資料室が6月12日より企画展「女子医学生が過ごした日々<帝国女子医学薬学専門学校>」を開催
 http://www.u-presscenter.jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=4044

▼本件に関する問い合わせ先
 東邦大学 法人本部 経営企画部
 〒143-8540 東京都大田区大森西5-21-16
 TEL 03-5763-6583(ダイヤルイン)
 FAX 03-3768-0660
 東邦大学 沿革URL: http://www.toho-u.ac.jp/corporation/history.html

3414 1929(昭和4)年1月新校舎落成式

3415 防空対策のため迷彩を施された医学部本館