ページ上部

高校生はコロナ禍で抑うつになりにくくなっていた?~心の変化を“地形図”で可視化、集団傾向を数理的に解析~

高校生はコロナ禍で抑うつになりにくくなっていた?~心の変化を“地形図”で可視化、集団傾向を数理的に解析~
【本研究のポイント】
・東京在住の高校生から取得した抑うつ注1)に関するアンケートに対して、エネルギー地形解析注2)を適用して「抑うつのエネルギー地形図」として解析した結果、先行研究と同様に集団全体の傾向としてコロナ禍で抑うつになりにくくなっていたことを示した。
・層別化解析注3)により、抑うつスコアが低く安定なグループと高く不安定なグループを特定し、両グループでコロナ禍による抑うつへの影響が異なることを示した。
・脳発達データ(経時的な頭部MRI検査注4))の比較から、脳構造の成長過程が抑うつの感受性に影響を及ぼしている可能性が示唆された。

【研究背景と内容】
 コロナ禍では感染防止のために自宅待機や外出自粛、マスク着用、オンライン授業など多くの生活様式の変化が求められ、私たちの生活は大きく影響を受けました。これらの取り組みは感染拡大の防止に寄与した一方で、心理的な影響も避けられませんでした。特に「抑うつ」は誰にでも起こりうる一時的な気分の落ち込みであり、コロナ禍で多くの人が影響を受けたと考えられます。
 青少年の抑うつとコロナ禍の関係については、心理的苦痛の増加を示す報告と、学校や社会活動からの解放による心理的負担の軽減を示唆する報告があり、急激な環境変化に対して多様な反応が存在することが示されています。しかし、これらの多くはコロナ禍「後」に実施された調査であり、パンデミック発生前後で青少年の抑うつがどのように変化したかは明らかではありません。未来のパンデミックに備えるためにも、感染症対策時には重要なターゲットになりうる青少年のコロナ禍前後の抑うつの時間変化をより詳細に理解する必要があります。
 本研究では、思春期の健康と発達を追跡する大規模研究「東京ティーンコホート」に蓄積されているデータの一部を解析しました。東京ティーンコホートは東京大学、総合研究大学院大学、東京都医学総合研究所により共同で運営され、世田谷区・調布市・三鷹市から無作為に募集した3,171人の子どもとその養育者を対象としています。この中からWEBアンケートへの協力者を募り、84人(男女各42人)の高校生からコロナ禍前およびコロナ禍中(2019年7月~2021年9月)の期間で回答を得ました。アンケートには、過去30日間の心理的苦痛に関する6項目についてそれぞれ0~4点で評価する「Kessler 6-Item Psychological Distress Scale (K6)注8)」が含まれており、その合計点(0〜24点)が抑うつの指標として一般的に用いられています。K6などのアンケート調査では、主に合計点に着目して分析されますが、この方法は単純で分かりやすい一方で多くの情報が失われています。近年、先端的な数理科学技術を用いた解析により精神状態を「エネルギー地形図」として捉え、その背後にある複雑な特徴を解析するアプローチが注目されています。
 本研究では、エネルギー地形解析を適用して、「抑うつのエネルギー地形図」を直接描画し、高校生集団の傾向としてコロナ禍において抑うつになりにくい傾向があったことを明らかにしました(図参照)。なお、本研究で得られた結果は、これまでの研究で合計点を用いた結果とも一致しています。
さらに、全集団傾向の結果を踏まえ、集団内に存在する個人差を明らかにするため、機械学習を用いて抑うつスコアの時系列データを層別化しました。その結果、抑うつスコアが「低く安定なグループ」と「高く不安定なグループ」という2つの特徴的な集団を特定しました。そして、層別化グループごとのエネルギー地形図を用いたシミュレーションにより、グループにかかわらず抑うつになりにくい傾向が確認されました。さらに、安定グループでは健康状態から抑うつへの遷移が抑えられる一方で、不安定グループでは抑うつから健康状態へ戻りやすいことが確認されました。
 加えて、脳発達データ(経時的な頭部MRI検査)の解析により、中前頭回の尾側と側頭極の皮質厚の成長過程がグループ間で異なることがわかりました。この結果は、思春期における脳発達の違いが、抑うつの感受性に関与する可能性を示しています。今後、さらに検証を進めることで、将来のパンデミックや大災害のような大規模な社会変化が生じた際に、精神状態への影響を早期に予測し、支援を必要とする人々を適切に選別できることが期待されます。

【成果の意義】
 本研究では、抑うつの重症度を1つのスコアとして評価するのではなく、心理状態が時間とともにどのように変化し、どの状態に滞在しやすいのかという動的な視点から評価しました。具体的には、エネルギー地形解析を用いることで、個人および集団における心理状態の安定性や遷移のしやすさを可視化できる可能性が示されました。また、エネルギー地形解析は、心理状態の変化をより詳細に把握するだけでなく、心の揺らぎや悪化の兆候(早期警戒シグナル)を捉える可能性を持つ点でも重要です。特に、パンデミックのように外的要因が明確な状況では、多くの人に共通した心理的反応が生じる傾向があるため、この解析手法が効果的に機能すると期待されます。
さらに、抑うつの動的変化と脳MRIデータを統合的に解析する本研究の枠組みは、抑うつの感受性を脳構造の成長過程という発達的観点から理解する可能性を示しています。これは、思春期に見られる精神状態の揺らぎを、脳発達という生物学的基盤と関連づけて捉える可能性を示しており、将来的には早期の段階で予防的介入や個別化支援の設計に貢献することが期待されます。
 一方、本研究は、東京在住の84人の高校生を対象とした小規模なケーススタディーであり、得られた結果を一般化するには限界があります。特に、本研究での対象は比較的健康で学校に通えている高校生が中心であるため、重度の精神疾患を抱える青少年とは異なる傾向を示すと考えられます。今後、より多くのデータが蓄積されれば、さまざまな心理学的・精神医学的状況に対して心の「エネルギー地形図」を描くことが可能になり、精神状態の理解がさらに深まると考えられます。
 本研究は、さまざまな感染症における超早期(未病)状態の推定に適用できる先端的な数理科学理論を開発する研究を推進する2021年度開始の科学技術振興機構(JST)ムーンショット型研究開発事業 ムーンショット目標2 「2050年までに、超早期に疾患の予測・予防をすることができる社会を実現」(JPMJMS2021)、日本医療研究開発機構(AMED)脳神経科学統合プログラム(Brain/MINDS 2.0)「数理と臨床の共創による精神疾患サブタイプのヒト病態メカニズム解明」(JP24wm0625302)などの支援のもとで行われたものです。

【用語説明】
注1)抑うつ:
一時的に気分が落ち込んだり、意欲が低下したりする心理状態のこと。誰にでも起こりうる身近な反応であり、必ずしもうつ病などの精神疾患を意味しない。
注2)エネルギー地形解析:
解析対象が取りうるさまざまな“状態”をもとに、それぞれがどれくらい起こりやすいか、どのように変化しやすいかを地形図のように可視化する手法。谷のように低い場所は起こりやすく安定した状態、山のように高い場所は起こりにくい不安定な状態を示し、複雑な状態変化を直感的に理解できる。
注3)層別化解析:
データに含まれる特徴やパターンをもとに、似た傾向を持つもの同士をグループ分けする解析手法。グループごとの違いや特徴を把握しやすくなり、データ全体だけでは見えにくい傾向を明らかにできる。
注4)頭部MRI検査:
磁気を使って頭の内部構造を画像化し、脳の形や構造を詳しく調べる検査。放射線を使わないため、体への負担が少なく、安全に脳の状態を確認できる。
注5)東京ティーンコホート:
東京都世田谷区・三鷹市・調布市に住む一般住民の児童とその養育者から無作為抽出された参加者3,171人に対して長期間追跡して実施されている大規模な前向き縦断コホート研究。思春期における心理的・身体的発達や行動特性の経時的変化を明らかにすることを目的に、複数の調査機関・方法(質問紙・訪問調査・認知・生物学的測定など)を用いてデータを収集しており、東京大学・総合研究大学院大学・東京都医学総合研究所が共同で運営している。
注6)先行研究:
Hippocampal Structures Among Japanese Adolescents Before and After the COVID-19 Pandemic | Adolescent Medicine | JAMA Network Open | JAMA Network
doi:10.1001/jamanetworkopen.2023.55292
注7)中前頭回の尾側と側頭極の皮質厚:
中前頭回の尾側と側頭極は感情や考え方に関わる脳の働きと関連があるとされる脳領域。中前頭回の尾側は、状況に応じて発語や眼球運動を制御すると考えられている。一方、側頭極は、感情や過去の経験に意味を与える役割を担う脳の領域と考えられている。これらの脳の皮質厚の違いは、人によって異なる心の状態や感じ方の違いを理解するための、重要な手がかりの一つである。
注8)Kessler 6-Item Psychological Distress Scale(K6):
直近1カ月間の心理的な苦痛を6つの質問で評価するアンケート。具体的には、「神経過敏に感じましたか」「絶望的だと感じましたか」「そわそわ、落ち着かなく感じましたか」「気分が沈み込んで、何が起こっても気が晴れないように感じましたか」「何をするのも骨折りだと感じましたか」「自分は価値のない人間だと感じましたか」という6つの状態について、どの程度当てはまるかをそれぞれ、「全くない」「少しだけ」「時々」「たいてい」「いつも」の5つの中から回答する。一般的には、合計点で心理的苦痛の程度を評価するが、本研究では各項目をそれぞれ独立した要素として捉えつつ、項目間の関係性を考慮して解析した。

【論文情報】
雑誌名: PLOS Medicine
論文タイトル:Psychological distress among Japanese high school students during the COVID-19 pandemic An energy landscape analysis
著者:
立松 大機;名古屋大学大学院理学研究科 博士後期課程
中村 直俊;横浜市立大学大学院データサイエンス研究科 教授、兼:名古屋大学大学院理学研究科 招へい教員
阿部 真人;同志社大学文化情報学部 准教授、兼:理化学研究所革新知能統合研究センター 客員研究員、理化学研究所脳神経科学研究センター 客員研究員
石川 哲朗;理化学研究所数理創造研究センター 客員主管研究員、兼:理化学研究所生命医科学研究センター 客員研究員、千葉大学大学院医学研究院人工知能(AI)医学 客員研究員、慶應義塾大学医学部石井・石橋記念講座(拡張知能医学) 准教授、東京大学大学院総合文化研究科「共創研究」社会連携講座 特任研究員
江崎 貴裕;東京大学先端科学技術研究センター 特任准教授
蔡 林;奈良先端科学技術大学院大学先端科学技術研究科情報科学領域 准教授
川上 英良;理化学研究所数理創造研究センター チームディレクター、兼:理化学研究所生命医科学研究センター チームディレクター、千葉大学国際高等研究基幹 教授、千葉大学大学院医学研究院人工知能(AI)医学 教授
合原 一幸;東京大学特別教授、兼:東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)エグゼクテブ・ディレクター、主任研究者
西田 淳志;東京都医学総合研究所社会健康医学研究センター センター長
岡田 直大;東京大学大学院医学系研究科精神医学分野 准教授、兼:東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)准教授、ヒューマンfMRIコア コアマネージャー
増田 直紀;ミシガン大学計算医学・バイオインフォマティクス学科および数学科 教授
笠井 清登;東京大学大学院医学系研究科精神医学分野 教授、兼:東京大学医学部附属病院精神神経科 科長、東京大学国際高等研究所 ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)主任研究者
小池 進介;東京大学大学院医学系研究科こころの発達医学分野 教授、兼:東京大学医学部附属病院こころの発達診療部 部長、東京大学大学院総合文化研究科進化認知科学研究センター 教授、東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)連携研究者
岩見 真吾;名古屋大学大学院理学研究科 教授、兼:京都大学高等研究院 ヒト生物学高等研究拠点(WPI-ASHBi)連携研究者、九州大学マス・フォア・インダストリ研究所 客員教授、理化学研究所数理創造研究センター 客員研究員、東京大学国際高等研究所 ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)連携研究者

本件に関するお問い合わせ先

名古屋大学総務部広報課
TEL:052-558-9735 FAX:052-788-6272
E-mail:nu_research@t.mail.nagoya-u.ac.jp