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明治大学が旧日本陸軍・登戸研究所の一施設(生田キャンパス5号棟)解体前の最後の公開見学会を2月20日(日)に開催

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旧日本陸軍登戸研究所の一施設で、当時の中国紙幣を偽造していたとされる明治大学生田キャンパス(川崎市多摩区)の5号棟(木造平屋建て)が老朽化で解体されることとなり、2月20日(日)に最後の公開見学会を開催する。解体後は、農学部の教育施設を建設予定。

~解体後は、農学部の教育施設を建設~

 旧陸軍登戸研究所跡地を明治大学が戦後購入して作られた生田キャンパスには現在、理工学部及び農学部の学部生・大学院生約8000名が在籍している。キャンパス内には、当時の研究所で使用されていた建物や戦争遺跡が残されており、その一部が『明治大学平和教育登戸研究所資料館』として、昨年3月開館した。当時の「秘密戦」に関する旧陸軍の活動を後世に伝えるとともに、平和教育・歴史教育・科学教育の発信地として活用されている。

◎生田キャンパス5号棟 公開見学会
《日 時》 2011年2月20日(日) 10:00~12:00
      ※事前予約不要 当日、生田キャンパス中央校舎1階ロビーに集合
      ※老朽化が激しいため、制限区域内のみの公開となります。

《場 所》 明治大学生田キャンパス内5号棟(川崎市多摩区東三田1-1-1)
      ※小田急線向ヶ丘遊園駅下車→小田急バス「明大正門行」終点下車
      ※小田急線生田駅下車 徒歩10分

《公開見学会に関する問い合わせ先》
 明治大学生田キャンパス課(TEL: 044-934-7553)


◎参考補足資料 (文責: 登戸研究所資料館館長 山田 朗)
◆登戸研究所とは?
 登戸研究所は旧日本陸軍の秘密研究所で、その敷地・施設は、現在の明治大学生田キャンパス〈神奈川県川崎市多摩区〉一帯にありました。1937(昭和12)年に陸軍科学研究所登戸実験場として開設され、1945年8月の敗戦にともなって閉鎖されました。「登戸研究所」という名称は当時から使われていた通称(秘匿名称)で、正式には、第九陸軍技術研究所(1942年以降)といいました。
 登戸研究所は、〈秘密戦〉のための兵器・資材の研究開発に従事していた機関です。〈秘密戦〉とは、防諜(スパイ取り締まり)・諜報(スパイ活動)・謀略(後方攪乱)・戦時宣伝の4つの要素から構成され、「水面下の戦争」「裏側の戦争」といえるものです。
 登戸研究所で開発されたものには、風船爆弾、レーダーなどの電波兵器、動植物を標的にした生物兵器(細菌・ウイルス・昆虫)、暗殺用毒物、ライター型カメラなどの各種スパイ用品、中国戦線で使用するための偽札(偽造法幣)などがありました。

◆明治大学のキャンパスに登戸研究所の建物があるのは?
 戦後、登戸研究所跡地は民間に払い下げられ、一時、慶應義塾大学などが使用していましたが、慶應義塾大学が日吉キャンパスの復興にともなって移転したため、1950(昭和25)年に旧登戸研究所跡地11万坪のうち3万坪余を明治大学が購入し、翌年から生田キャンパスとして使用してきました(現在、理工学部・農学部があり、敷地は約5万坪に拡大)。
 明治大学が跡地を購入した当時は、キャンパス内に100棟近い登戸研究所時代の建物があり、それらを実験室・研究室などとして使用してきましたが、キャンパス整備にともない老朽化した建物の解体・立て替えが進み、2011年1月末現在で、建物としては鉄筋コンクリート製の36号棟(現在の登戸研究所資料館)と木造の5号棟のみを残すだけとなりました。
 なお、この「36号棟」といった建物名称は、登戸研究所時代のものではなく、戦後、明治大学が取得する前につけられたものです。

◆5号棟とは?
 このたび既定のキャンパス整備(農学部の研究・教育施設の充実)計画の一環として、老朽化して危険な状態となった木造の5号棟は解体のやむなきにいたりました。
 5号棟は、1939(昭和14)年から1941年頃に建設されたと推定される木造平屋建ての建物です。登戸研究所では、第三科(偽札製造部門)に属し、中国の蒋介石政権(当時)の偽札を印刷していた工場であったと言われています。当時は、5号棟周辺には高い板塀がはり巡らされ、登戸研究所の所員でも、第三科関係者以外は自由に出入りすることはできませんでした。
 5号棟は解体されますが、図面・写真・映像等で記録を残し、建築部材・土台などもサンプルを採取して保存するとともに、跡地には(キャンパス整備終了後)、そこに5号棟があったことを示す記念物を設置していくつもりです。

◆なぜ登戸研究所で偽札印刷が行われたのか?
 1937(昭和12)年に日中戦争が全面化すると、日本陸軍は大規模な作戦を実施する一方で、中国(蒋介石政権)の偽札をバラまくことでインフレを起こし中国経済を混乱させようという「通貨謀略工作」を計画しました。そのため登戸研究所で中国の法定紙幣を大量に偽造しました。中国紙幣の偽造は、1939年頃から本格化し、敗戦まで続けられました。登戸研究所で偽造されたのは5元札から200元札紙幣で、総額で40億円、そのうち25億円相当が実際に中国戦線での物資・食糧の買い付け等に使用されたと言われています。
 しかし、日本側が散布した偽札ではインフレは起きず、大戦末期に別の要因で中国で急激なインフレがおこり、1000元札・1万元札、ついには100万元札といった超高額紙幣が流通したため、日本側が散布した低額紙幣の偽札は無力化されてしまいました。
 登戸研究所で印刷された未完成の偽札の実物が、登戸研究所資料館に展示されています。

◆登戸研究所資料館とは?
 明治大学では、登戸研究所に関する歴史の事実を後世に伝え、平和教育・歴史教育・科学教育の発信地とするため、2010年3月に、明治大学平和教育登戸研究所資料館(略称:登戸研究所資料館)を開設しました。
 登戸研究所資料館は、旧登戸研究所第二科の建物であった36号棟(植物を枯らす生物兵器等を研究開発)をそのまま保存・活用したもので、5つの展示室において登戸研究所の歴史と全容、風船爆弾・生物兵器・偽札、戦中・戦後の登戸研究所などについて、残された実物資料・文書、パネル・模型などを展示し、登戸研究所と戦争の裏面史について解説しています。
 登戸研究所資料館は、旧軍の研究施設をそのまま保存・活用した、〈秘密戦〉に関する全国で唯一のミュージアムとして注目を集め、開館から1年足らずの間に約1万人の来館者に見学していただいています。

◆今後の生田キャンパス・戦争遺跡整備について
 現在、明治大学の生田キャンパスには、登戸研究所時代の遺跡として、36号棟(登戸研究所資料館)と「弥心(やごころ)神社」(現在の名称は生田神社)、動物慰霊碑、消火栓2基、「弾薬庫」と呼ばれる倉庫施設2カ所のほか、登戸研究所時代から存在するヒマラヤ杉の巨木などが残っています。
 このたび5号棟は、解体のやむなきに至りましたが、今後、明治大学としては、現存する遺跡を保存するとともに、5号棟跡などに戦争遺跡が存在したことを示すモニュメント等を設置するなど、戦争の時代の出来事を後世に継承するために施設・表示を充実させていく方向で、戦争遺跡としてキャンパスを整備していく所存です。

▼本件に関する問い合わせ先
 明治大学 広報課
 担当: 西川
 TEL: 03-3296-4082

1991 老朽化により解体される明治大学生田キャンパス内5号棟