脳脊髄液をつくる細胞におけるD-アミノ酸酸化酵素の多様な局在
■ ポイント ■
1. 脈絡叢注1)上皮細胞におけるD-アミノ酸酸化酵素(DAO)注2)の細胞内局在を
高精度に可視化
2. 「DAOは細胞内のある一定の場所に存在する」という従来概念を更新
3. D-アミノ酸注3)代謝に空間的制御が存在する可能性を提示
4. 脳内環境恒常性の理解につながる新しい視点を提供
■ 概要 ■
私たちの脳の中には「脳脊髄液(のうせきずいえき)」と呼ばれる液体が流れており、脳を保護したり、栄養や老廃物のやり取りを助けたりしています。この脳脊髄液を作り出しているのが、脳の中にある「脈絡叢(みゃくらくそう)」という組織です。
埼玉医科大学(学長 竹内 勤)保健医療学部臨床検査学科の小野公嗣准教授、山岸敏之教授、徳島大学(学長 河村 保彦)フォトニクス健康フロンティア研究院の宍戸裕二特任准教授、徳島大学先端酵素学研究所の福井清元教授による共同研究グループは、この脈絡叢を構成する上皮細胞と呼ばれる細胞の中で、「D-アミノ酸酸化酵素(DAO)」という酵素がどこに存在しているのかを詳しく調べました。DAOは、生体内に存在する「D-アミノ酸」と呼ばれる物質を分解し、その量を調節する役割を持つ酵素で、D-アミノ酸の代謝を通じて神経の働きや脳の環境を整える重要な役割を担うと考えられています。また、精神神経疾患におけるDAOの遺伝子変異など、この調節の破綻がいくつかの疾患に関与していることも報告されています。
これまでDAOは、細胞の中の特定の場所にまとまって存在すると考えられてきました。しかし本研究の結果、脈絡叢上皮細胞の中では、DAOが多様な局在パターンを示すことが明らかになりました。
この発見は、DAOが単に一定の場所で働く酵素ではなく、細胞の状態や役割に応じて配置を変えながら機能する可能性を示しています。つまり、D-アミノ酸の量は、細胞の中での「DAOの居場所」によって細かく調節されている可能性があるという、新しい視点が提示されました。今回の成果により、脳の中の化学物質のバランスがどのように保たれているのかという理解が一歩進み、将来的には脳の機能異常や精神疾患の仕組み解明につながることが期待されます。本研究成果は、2026年2月17日に国際学術誌 FEBS Journal にオンライン先行公開されました。
■ 背景 ■
私たちの体をつくるタンパク質の材料として重要なアミノ酸には、実は「L型」と「D型」という鏡写しの関係にある2つの形が存在します。その中でシンプルな形をしているアミノ酸のセリンを例として挙げると、「L-セリン」と「D-セリン」のように分けることができます(図1)。生物界に存在するほぼすべてのタンパク質はL-アミノ酸から構成されているため、生体内ではL-アミノ酸が主要な役割を果たすと長らく考えられてきました。しかし、近年の研究により、生体内にD-アミノ酸が微量に含まれ、D-アミノ酸は脳の働きや生理機能に関わる重要な分子であることが分かってきました。

このように注目度が高まってきたD-アミノ酸の代謝に関わる分子の一つが「D-アミノ酸酸化酵素(DAO)」です。DAOはD-アミノ酸を分解することで、その濃度バランスを保つ役割を担っています。DAOは腎臓や脳などに存在することが知られていますが、これらの組織でどのように働いているのかはまだ十分に理解されていません。
これまで私たちの研究グループは、脳脊髄液を産生し、血液と脳内環境の境界として機能する「脈絡叢」にDAOが発現していること、さらに、統合失調症患者の脳で脈絡叢におけるDAOの発現が上昇していることを報告してきました。しかし、「細胞の中でどこに存在しているのか」という詳細な局在様式は明らかではありませんでした。DAOの働きは細胞内での位置によって変わる可能性があるため、局在及びその制御機構を明らかにすることが重要な課題となっていました。
■ 研究内容 ■
本研究では、脳脊髄液を産生する脈絡叢上皮細胞において、DAOが細胞内のどこに存在しているのかを詳細に解析しました(図2)。特に、DAOが特定の細胞内構造に限定して分布するのか、それとも別の異なる配置をとるのかという二つの仮説を検証することで、D-アミノ酸代謝が細胞内DAOの空間的配置によってどのように調節されているのかを理解することを試みました。将来的には、脳内のD-アミノ酸恒常性を支えるメカニズムとして新たなDAOの空間制御の仕組みを明らかにすることが狙いです。

■ 研究手法 ■
本研究では、脈絡叢の組織を用いて、上皮細胞の中にある「D-アミノ酸酸化酵素(DAO)」の位置を可視化し、その分布を詳細に観察しました。DAOに対する抗体や、細胞内の様々な場所を示す抗体で細胞内におけるDAOの存在場所を明らかにし、複数の細胞を比較することで分布の特徴を解析しました(図3)。酵素を特異的に識別できる方法を用い、細胞内の存在場所を明らかにし、複数の細胞を比較することで分布の特徴を解析しました。その結果をもとに、DAOの配置にはどのような分布パターンが存在するのかを体系的に評価しました。

■ 研究結果 ■
解析の結果、脈絡叢上皮細胞における「D-アミノ酸酸化酵素(DAO)」は、細胞内で一定した場所に存在するわけではなく、様々な場所に分布していました(図4)。腎臓の一部の種類の細胞では、特定の細胞内領域に集中している一方、今回の脈絡叢上皮細胞ではより広い範囲に分散して存在しており、DAOの配置には明確な多様性があることが確認されました。このことから、DAOの生理的意義について様々な可能性が示唆されます。例えば、細胞内(ライソソームやペルオキシソーム)で機能する場合は、細胞内タンパク質分解系の一過程としての重要性が考えられます。一方、細胞外への分泌経路(エンドソームやエクソソーム)に見出されるDAOは、細胞外に存在するD-アミノ酸を分解して、広範囲での濃度制御を実現するかもしれません。

今回得られた結果は、DAOが固定的な位置で働くのではなく、細胞の状態や役割に応じて配置が変化する可能性を示しています。すなわち、D-アミノ酸の量は単に酵素の量だけでなく、酵素が細胞内の「どこに存在するか」によっても調節されている可能性が示唆されました。本研究は、D-アミノ酸代謝にDAOの空間的な制御機構が存在することを支持する知見となります。
■ 今後の展開 ■
本研究により、「D-アミノ酸酸化酵素(DAO)」の働きは単に酵素の量だけで決まるのではなく、細胞内での配置という「空間的な要素」が重要である可能性が示されました。これは、D-アミノ酸など、脳内に存在する様々な化学物質のバランスが、細胞内の微細な構造レベルで調節されていることを示唆するものです。脳脊髄液を産生する脈絡叢は、脳環境の恒常性維持において重要な役割を担っています。本研究の成果は、脈絡叢における代謝制御の理解を一歩進めるとともに、脳内の物質調節機構を統合的に捉える新たな視点を提供します。
今後は、DAOの局在がどのような分子機構によって決定されるのか、また生理的条件や病態の条件下で変化するのかを解明することで、脳機能の理解や精神神経疾患研究におけるブレークスルーがもたらされると期待されます。
■ 論文情報 ■
論文名:Variability in intracellular localization of D-amino acid oxidase in choroid plexus epithelial cells
雑誌名:The FEBS Journal
著者:Koji Ono, Yuji Shishido, Toshiyuki Yamagishi, Kiyoshi Fukui
DOI:10.1111/febs.70459
URL:https://febs.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/febs.70459
■ 用語の説明 ■
注1)脈絡叢:
脳室内に存在し、脳脊髄液を産生する組織であり、脈絡叢上皮細胞によって構成される。血液と脳脊髄液の境界として、高度に調節された分子輸送を担う。
注2)D-アミノ酸酸化酵素(DAO):
D-アミノ酸を分解する酵素。生体内でD-アミノ酸濃度を制御する主要因子。
注3)D-アミノ酸:
タンパク質の材料として重要なアミノ酸には、「L型」と「D型」という鏡写しの関係にある2つの形が存在する。生体内に存在するD-アミノ酸は微量であるが、近年、D-アミノ酸の脳内の働きや生理機能に関わる重要な分子として注目されている。
■お問い合わせ先■
・研究に関すること
小野 公嗣(おの こうじ)
埼玉医科大学 保健医療学部 臨床検査学科 准教授
E-mail: onok@saitama-med.ac.jp
Tel.: 042-984-4917
福井 清(ふくい きよし)
徳島大学先端酵素学研究所 元教授
E-mail: kiyo.fukui@tokushima-u.ac.jp
Tel.: 088-656-7604
・取材、報道に関すること
埼玉医科大学 広報室
E-mail: koho@saitama-med.ac.jp
Tel.: 049-276-2125
取材お申し込みは下記へお願いいたします。
埼玉医科大学HP https://www.saitama-med.ac.jp/purpose/report.html#/
徳島大学先端酵素学研究所事務室
E-mail: kousojimc@tokushima-u.ac.jp
Tel.: 088-633-9420