大腸菌が体内で一気に増殖する「スタートダッシュ」の仕組みを解明 〜遺伝子の“ブレーキ役”と思われていたH-NSタンパク質の真の姿は『ゲノム構造の司令塔』だった〜
【発表のポイント】
- 独自のゲノム編集技術「HoSeI法」の威力を実証:CRISPR-Cas9を応用した法政大学独自の遺伝子編集技術「HoSeI法」を駆使し、複数の大腸菌株においてゲノム構造に関わるタンパク質群(NAPs)の精密な完全欠損株ライブラリを短期間で構築・比較解析することに成功しました。
- バクテリア増殖スタートダッシュの仕組みを解明:大腸菌が宿主の体内温度(約37℃)を感知し、対数増殖の初期に一気に増殖速度を高める現象と、その駆動に必要な因子(H-NSタンパク質およびRacプロファージ)を明らかにしました。
- 従来の常識を覆す発見:従来「外来遺伝子の発現を抑え込むブレーキ(サイレンサー)」と考えられていたH-NSが、37℃付近で構造を変え、ゲノム(核様体)全体を物理的に支える「構造の司令塔(オーガナイザー)」として機能することを解明しました。
- 長年の学術的パラドックスを解消:「37℃で抑え込みが緩むはずのH-NSを失うと、なぜか大腸菌が増殖できなくなる」という謎(サイレンシングのパラドックス)を、ゲノムの物理的・空間的な構造調整の観点からクリアに解き明かしました。
【内 容】
<研究の背景:ゲノム編集技術「HoSeI法」の果たした役割>
腸内細菌である大腸菌が宿主(ヒトや動物)の体内に侵入して生き残るためには、体温(約37℃)を感知して素早く増殖を開始することが不可欠です。大腸菌のゲノム上には、進化の過程で取り込まれたウイルス由来の遺伝子(Racプロファージなど)が存在し、これらが増殖を促進することが知られていました。また、ゲノムの構造維持に関わる多くの因子(NAPs)が複雑に絡み合っているため、従来の遺伝子破壊技術(外来マーカー遺伝子の挿入など)では二次的な影響や極めて高い変異の不安定さが生じ、正確な比較解析が困難でした。
本研究では、CRISPR-Cas9と全フレーム停止ストップコドンカセットを組み合わせた独自のゲノム編集技術「HoSeI法(Homologous Sequence Integration法)」をフル活用しました。これにより、ゲノムへの余分な選択マーカーを残さない精緻な変異の導入した完全な機能停止(Null変異化)を確実に実現し、異なる大腸菌系統(MG1655株およびW3110 type A株)におけるNAP群の遺伝子機能の網羅的比較が初めて可能となり、H-NSの真の生理機能の解明に決定的な役割を果たしました。
<研究の成果:大腸菌の増殖スタートダッシュを支える分子メカニズム>
研究グループは、HoSeI法により育種した複数のゲノム編集大腸菌を用い、高精度な自動増殖モニタリング装置や単一細胞レベルでの蛍光顕微鏡観察を組み合わせ、増殖の定量的な精緻な解析を行いました。その結果、以下の学術的成果を得ました。
1.H-NSの「構造オーガナイザー」機能の証明
37℃環境下において、H-NSは単なるブレーキ役ではなく、ゲノムの立体構造を最適化する「物理的な足場」へ変化することが分かりました。この足場があることで、大腸菌はRacプロファージが持つ強力な増殖促進パワーを安全に引き出すことができます。
2.サイレンシングのパラドックスの解決
H-NSを欠損させた変異株では、外来遺伝子のブレーキが外れているにもかかわらず、急激な増殖に伴うゲノムの混乱(転写と複製の衝突)を物理的に抑えきれなくなり、結果として増殖速度が著しく低下することを確認しました。つまり、「外来遺伝子の抑え込みを外すこと」以上に、「ゲノムの物理的構造を保つこと」が宿主適応において本質的に重要であることを証明しました。
3.株による適応戦略の違い
大腸菌の代表的な実験株(MG1655株とW3110株)を比較したところ、Racプロファージを持つ株はH-NSに強く依存して一気に増殖するのに対し、これを持たない株は複数の構造タンパク質(HUやStpA)のネットワークで愚直にゲノムを支えるという、株独自の生存戦略の違いも明らかになりました。

*本研究で改良した独自ゲノム編集HoSeI法
HoSeI法(Homologous Sequence Integration法)は山本らが独自に開発・確立した高度なゲノム編集技術。本研究では、HoSeI法をベースにすべての読み枠(フレーム)でタンパク質合成を停止させる「ストップコドンカセット」を用い、確実に遺伝子機能を破壊する編集方法を開発しました。その結果、ゲノム上に余分なDNA配列を残すことなく、狙った遺伝子だけを確実かつ短時間で完全破壊(Null変異化)でき、高精度で網羅的な遺伝子解析を可能にしました。

【今後の展開】
本研究は、病原性大腸菌などの細菌が感染初期に宿主内で一気に勢力を広げるメカニズムの解明に繋がる基礎的発見です。将来的に、H-NSの構造変化やゲノム保持機能を標的とした新しい抗菌アプローチの開発や、有用な産業用微生物の増殖コントロール技術への応用が期待されます。
【用語解説】
・H-NS(Histone-like Nucleoid-Structuring protein:ヒストン様核様体タンパク質):大腸菌をはじめとする細菌のゲノムDNAに結合する主要なタンパク質。従来は、進化の過程で外部から侵入した不要な外来遺伝子の発現を固く抑え込む「遺伝子のブレーキ役(サイレンサー)」として知られていました。本研究により、体温(37℃)付近では自ら立体構造を変え、ゲノム全体を物理的に支える「構造の司令塔(オーガナイザー)」として機能することが新しく証明されました。
・Racプロファージ(Rac prophage):大腸菌(MG1655株など)のゲノム中に組み込まれている約23kb(2万3千塩基対)におよぶ外来遺伝子領域(潜伏したウイルス由来の遺伝子群)。大腸菌にとって一見「居座っている不要な外来物」に見えますが、実は宿主の初期増殖を急加速させる「増殖アクセル」の役割を果たしています。
・サイレンシングのパラドックス(Silencer Paradox):「37℃の体温環境になるとH-NSによる遺伝子抑え込み(サイレンシング)が弱まる」という知見に対し、「では抑え込み役であるH-NSを失わせた変異株は、37℃でさらに勢いよく増殖できるはずだ」と予測されます。しかし実際には「H-NSを失うと37℃でまともに増殖できなくなる」という、長年説明がつかなかった学術上の矛盾・謎のこと。本研究は、H-NSが「抑え込み役」だけでなく「物理的な骨組み役」を兼ねていることを示すことで、この矛盾を解き明かしました。
・核様体(Nucleoid):真核生物(ヒトや動物など)の細胞にある「細胞核」に相当する、細菌内部のゲノムDNA存在領域。大腸菌では、全長約1.6ミリメートルにも及ぶ長い環状DNAが、核様体関連タンパク質の助けを借りて細胞内(わずか数微メートル)に緻密に折りたたまれて収納されています。
・NAPs(Nucleoid-Associated Proteins:核様体関連タンパク質):細菌のゲノムDNAに結合し、核様体の立体構造の維持や遺伝子転写の調節を担うタンパク質群の総称。大腸菌では、H-NSのほか、HU、StpA、Fis、Dpsなどが知られており、これらを巧みに使い分けてゲノムの折りたたみ状態をコントロールしています。
・比増殖速度(μ:Specific growth rate):細菌の細胞数が単位時間あたりにどれくらいの割合で増加するかを示す定量的な指標。本研究では、全自動装置による15分間隔の高頻度測定データを統計解析し、増殖が爆発的に始まる「対数増殖の初期(ODratio=0.2)における瞬間の比増殖速度を厳密に定義して比較しました。
【論文情報】
- タイトル:Structural basis of H-NS-mediated temperature-dependent stimulation of initial growth in Escherichia coli
- 著者:Erika Yamauchi†, Hayato Fujita†, Yukari Miyake, Kaneyoshi Yamamoto*(†共筆頭著者、*責任著者)(Department of Frontier Bioscience and Research Institute of Micro-Nano Technology, Hosei University)
- 掲載誌:PLOS ONE
- DOI:https://doi.org/10.1371/journal.pone.0346655
- URL:https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0346655
なお、本研究については、米国科学誌『PLOS ONE』によるプレスリリースが、科学ニュース配信サイトEurekAlert!に掲載されました。
https://www.eurekalert.org/news-releases/1148792
▼本件に関するお問い合わせ先
【研究内容に関するお問い合わせ先】
法政大学 生命科学部
教授 山本 兼由(やまもと かねよし)
TEL: 042-387-6225
E-mail: kanyamam@hosei.ac.jp
【取材に関するお問い合わせ先】
法政大学 総長室広報課
TEL: 03-3264-9240
E-mail: pr@adm.hosei.ac.jp