【麻布大学】海底のDNAから読み解く絶滅危惧種スナメリの100年史 ―海棲哺乳類の個体数の推移を堆積物DNAから推定―
● 海棲哺乳類(かいせいほにゅうるい)※1は、個体数の減少や絶滅リスクが懸念されていますが、観測データが乏しいため、過去から現在に至る長期傾向は十分に解明されていません。
● 本研究では、絶滅が危惧されるスナメリを対象に、瀬戸内海・別府湾の海底堆積物に残る環境DNA※2(堆積物DNA)を分析し、DNA濃度に基づいてスナメリの過去100年にわたる長期的な個体数変化の復元を試みました。
● DNA濃度から推定されるスナメリ個体数は1940〜1950年代に増加した後、1960年代初頭に急減し、その後2000年代以降に回復傾向を示しました。また、堆積物中のPCB(ポリ塩化ビフェニル)※3やカドミウムなどの環境汚染物質濃度との間に負の関連が確認され、1960年頃の化学物質による汚染の拡大が本種の減少に寄与した可能性が示されました。
● 本研究は、海底の泥に含まれるDNA情報を基に、直接観測が難しい海棲哺乳類の長期的な個体数の推定や、化学物質による汚染など人為的な影響を長期的に評価した新たな試みであり、今後、絶滅危惧種のリスク評価や環境変化に対する生物応答の長期モニタリング手法としての活用が期待されます。
<概要>
現在、海棲哺乳類の多くは、絶滅危惧種に指定され、化学物質による汚染の影響などが危惧されています。しかし、観測データの不足から、絶滅リスクの評価ができない状況が続いてきました。麻布大学 落合真理講師、松山大学 槻木玲美教授、愛媛大学 加三千宣教授・国末達也教授、愛媛大学元大学院生 中根快氏、京都大学 土居秀幸教授、国立環境研究所 磯部友彦主幹研究員らからなる研究チームは、絶滅危惧種スナメリ(図1)の個体数の長期復元を目的に、本種に特異的なプライマー・プローブ※4を開発し、瀬戸内海、別府湾の堆積物に残る環境DNAをリアルタイムPCR法※5によって検出・解析しました(図2)。
その結果、過去100年に相当する堆積物からスナメリのDNAが検出され、その濃度は1950年代に急増した後、1960年代初頭に急減し、その後2000年代以降に回復傾向を示しました(図3)。この変動傾向は、瀬戸内海で断続的に行われてきた現地調査によるスナメリ生息数の変化と概ね一致していました。このことから、堆積物DNA(sedimentary DNA, sedDNA)解析は、海棲哺乳類の個体数推移を精度よく推定する有効な手法であることが示されました。
さらに、1960年前後にみられたスナメリの急速な減少要因について検討した結果、PCB(ポリ塩化ビフェニル)濃度が高い時期ほどスナメリDNA濃度が低下する傾向が認められ、両者の間には負の関連が確認されました(図4)。日本国内におけるPCB生産量は1960年代に急増し、1970年前後にピークに達したことが知られており、この時期は本研究で確認されたスナメリDNA濃度の減少時期と概ね一致していました。加えて、1960〜1970年代に瀬戸内海で採取されたスナメリは、PCB濃度が鯨類において個体数減少や免疫毒性を引き起こすとされる基準値を大きく上回っていましたが、2000年代以降に採取された多くの個体のPCB濃度は低い値を示しました。これらの結果は、1960年代におけるスナメリ個体数の減少が化学物質による汚染と関係していた可能性を示すもので、当時の環境汚染がスナメリに深刻な影響を与えていたことが示唆されました。
<期待される波及効果>
本研究は、海底の泥に残る環境DNA(堆積物DNA)を用いて、海棲哺乳類の長期的な個体数の変化を明らかにし、その背景にある要因の解明を試みた、これまでにない取り組みです。特に、これまで直接、観測することが難しかった海棲哺乳類について、化学物質による汚染などの人間活動が個体群に与えてきた影響を、長い時間スケールで検証できる可能性を示しました。環境DNAは、生物のモニタリング手法としての活用が広がっていますが、堆積物DNAは現在の観測では把握できない様々な生物の過去情報を可視化できることから、新たな長期モニタリング手法として注目されています。
本手法は、スナメリだけでなく、さまざまな海棲哺乳類への応用が期待されます。豊かな海を象徴する、海棲哺乳類が、この100年でどのように変化してきたのかを”見える化”することは、絶滅危惧種の保全、海洋環境管理など幅広い分野への貢献が期待され、将来にわたって、豊かな海を維持していくための議論にも寄与すると期待されます。

図1. スナメリ(海棲哺乳類)。瀬戸内海は、スナメリの主要な生息域の一つである。スナメリは、IUCN(国際自然保護連合)のレッドリストで絶滅危惧種(EN)に分類され、愛媛県や大阪府などのレッドリストでも絶滅危惧Ⅱ類(VU)に指定されている。(撮影:槻木玲美)

図2. 本研究の概念図。海底の泥に残る環境DNA(堆積物DNA)を用いて、スナメリに特異的なDNAを計測し、その濃度変化から、スナメリ個体群の長期的な変化を明らかにする。
<背景と目的>
生物多様性の低下が深刻化するなか、スナメリをはじめとする多くの海棲哺乳類でも個体数の減少が懸念されています。しかし、海棲哺乳類の観測には多大なコストと労力を要するため、長期的なモニタリングは限られており、絶滅リスクの評価に必要な十分なデータが不足していました。そのため、過去から現在に至る個体群変動の実態は十分に把握されていませんでした。
海棲哺乳類の減少要因としては、混獲や船舶衝突等に加え、PCB(ポリ塩化ビフェニル)などの化学汚染の影響が懸念されてきました。特に瀬戸内海のスナメリでは、他海域と比べて高濃度のPCBが体内から検出されており、化学物質による汚染の影響が危惧されていました。しかし、長期データが不足していたため、その影響を評価することは困難でした。海棲哺乳類個体群の長期変遷を明らかにすることは、海洋生態系の健全性や「豊かな海」の形成過程を理解し、今後の海洋生態系保全を議論する上で重要です。
近年、過去の生物情報を復元する手法として、海底堆積物に保存された環境DNA(堆積物DNA)の活用が注目されています。しかし、海棲哺乳類を対象とした長期的かつ定量的な復元研究は、これまで行われていませんでした。そこで本研究では、高い時間解像度で年代推定が行われている瀬戸内海・別府湾の堆積物試料を用い、スナメリDNAを連続的かつ定量的に検出することで、本種の長期的な個体群動態と環境ストレス要因との関係を検証しました。
<研究手法>
本研究では、瀬戸内海・別府湾の湾奥部で採取した柱状堆積物※6を1 cm間隔で切り分け、DNA分析用試料に用いました。年代測定は、1920年以降は年縞年代に基づく洪水・地震・高波イベント層の年代、1920年以前についても14Cウィグルマッチング※7による年代決定法を用い、過去約100年間にわたる高精度な年代モデルを構築しました。
また堆積試料からスナメリに特異的なDNAを検出するため、ミトコンドリアDNA※8のシトクロムb(Cyt-b)※9領域を対象としたプライマー・プローブセットを新たに設計しました。堆積物DNAの計測には、リアルタイムPCR法を用いて定量し、得られたDNA濃度は、堆積試料の乾燥重量あたりのDNAコピー数として平均値±標準偏差で表記しました。

図3. 長期にわたるスナメリの堆積物DNA濃度の変遷。各色の点は、各柱状堆積物※6の3年または15年ごとに平均化した値を示し、黒色の点および太い実線は、解析した柱状堆積物全体の平均値を示す。

図4. スナメリの堆積物DNA濃度と総PCB濃度 (a)、Cd(カドミウム)(b)、Hg(水銀)(c)、Pb(鉛)(d)、SCPs(球状炭素粒子)(e)、マイクロプラスチック (f)、カタクチイワシ (g)、マイワシ (h)、マアジ (i)、4〜8月の水温 (j)、および年平均水温 (k) との関係。青色の実線はType II回帰モデルを示し、灰色の領域は95%信頼区間を示す。
なお、本研究成果は、5月30日付けで国際科学雑誌『Marine Pollution Bulletin』にオンライン掲載されました。
URL:https://doi.org/10.1016/j.marpolbul.2026.119895
論文名:Novel attempt to assess marine mammal dynamics over the past 100 years using
sedimentary DNA: An example in finless porpoise
著者:Nakane K., Kuwae M., Doi H., Ochiai M., Isobe T., Kunisue T., Tsugeki N.*
*研究代表者:松山大学教授 槻木 玲美
研究資金:
(独)環境再生保全機構環境研究総合推進費(JPMEERF20204004)
JSPS科研費(21H01170, 25K22879), 松山大学特別研究助成 (2024)
愛媛大学 化学汚染・沿岸環境研究拠点(LaMer) 共同利用・共同研究
高知大学海洋コア国際研究所 共同利用・共同研究(18A024 and 21C001)
<用語解説>
※1 海棲哺乳類(かいせいほにゅうるい):海に生息する哺乳類の総称。
※2 環境DNA:水や土壌、空気などの環境中に存在する生物から放出された組織片、粘液、排せつ物などに含まれるDNA。
※3 PCB(ポリ塩化ビフェニル):人工的に作られた化学物質。かつて電気機器の絶縁油などに使用され、国内では1954年から製造が開始されたが、後にその有害性が明らかとなり1970年代には製造・輸入が禁止された。
※4 プライマー・プローブ:特定のDNA配列を選択的に増幅・検出するために用いる短い人工DNA断片。プライマーは目的DNAの増幅開始点として機能し、プローブは目的配列を認識して、その存在を高感度に検出する。
※5 リアルタイムPCR法:水中や泥などに含まれる特定のDNAを増幅し、その増幅過程で発せられる光を測定することで、DNAの量(濃度)を調べる方法。
※6 柱状堆積物:海底や湖底に堆積した泥を、採泥器を用いて柱状に採取した試料。過去の環境や生物の変化、汚染の履歴を調べるために用いられる。
※7 14Cウィグルマッチング:年縞や堆積物などの試料について、複数の放射性炭素(14C)の年代の変動パターンを利用して、試料の実際の年代を高精度に推定する手法。
※8 ミトコンドリアDNA:細胞内でエネルギーを作り出すミトコンドリアに存在する独自の環状DNA。細胞内のコピー数が多く検出しやすいため、環境DNA解析に広く利用される。
※9 シトクロムb:ミトコンドリアDNAに存在する遺伝子の一つ。生物種ごとに特徴的な配列を持つため、生物種の識別などに広く利用されている。
<研究内容に関するお問い合わせ先>
松山大学 法学部
教授 槻木 玲美(つげき なるみ)
Email:ntsugeki@g.matsuyama-u.ac.jp
本件に関するお問い合わせ先
事務局 入試広報・渉外課
檜垣
- 住所
- 神奈川県相模原市中央区淵野辺1-17-71
- FAX
- 042-754-7661
- koho@azabu-u.ac.jp